企業買収や合併のプロセスにおいて、当事者間の権利と義務を最終的に確定させるのがM&A契約書群です。特に国際取引では、契約書が英文で作成されることが一般的であり、その複雑な構造と数多くの専門用語は、日本のビジネスパーソンにとって高いハードルとなることが少なくありません。本セクションでは、この複雑に見える文書群の全体像を整理し、契約交渉の土台となる基礎知識を固めていきます。
M&A契約の全体像を俯瞰する:主要契約書の役割と相互連携
M&A取引は、単一の契約書ではなく、複数の文書が段階的に作成・交渉され、最終的に一つの取引を構成する「文書群」によって進められます。当事者間の合意内容は、これらの文書に分散して記載されるため、それぞれの役割と相互の関係を理解することが実務の第一歩です。
- 秘密保持契約書 (Non-Disclosure Agreement; NDA)
取引の検討開始時に締結され、相手方から開示される経営・財務情報の秘密保持を義務付ける。交渉の前提となる重要な文書。 - 基本合意書 (Letter of Intent; LOI / Memorandum of Understanding; MOU)
交渉の基本方針(取引価格の範囲、スケジュール、独占交渉権など)を定める。その法的拘束力の範囲は条項によって異なる。 - 株式売買契約 (Share Purchase Agreement; SPA)
取引の核心となる契約。売買対象、対価、表明保証、免責、クロージング条件など、取引の全ての主要条件を網羅する「契約の心臓部」。 - 売渡証 (Bill of Sale) 等の実行文書
クロージング時に、実際に株式や資産の権利を移転するために作成・交付される文書。
株式売買契約(SPA)は契約の『心臓部』
SPAは、M&A取引におけるすべてのリスクと利益の配分を決定する最も重要な文書です。その主な構成部分と役割は以下の通りです。
- 表明保証条項 (Representations and Warranties): 売り手が買い手に対して、「契約時点の対象会社の状態」について真実であると表明・保証する条項。財務、資産、契約、訴訟、従業員など、あらゆる側面について網羅的に列挙される。
- 契約条項 (Covenants): 契約締結後からクロージングまでの間、またはクロージング後に、当事者が行うべきこと(または行ってはならないこと)を定める。例:通常営業範囲内での経営、重要契約の締結禁止など。
- クロージング条件 (Conditions Precedent): 当事者がクロージングの義務を履行するために満たすべき前提条件。規制当局の承認取得や、重要な第三者の同意取得などが該当する。
- 価格調整条項 (Purchase Price Adjustment): クロージング日時点の実際の財務数値(通常は運転資本)に基づき、暫定買収価格を最終確定価格に調整する仕組み。
基本合意書(LOI/MOU)は、その内容によって法的拘束力の有無が大きく異なります。「独占交渉権」や「秘密保持」に関する条項は通常、法的拘束力を持つと解釈されます。一方、「取引価格は◯◯円とする意向である」といった取引の主要条件に関する記述は、「誠意交渉義務」を課すにとどまり、最終的な契約締結を強制するものではないことが一般的です。英文LOIの交渉では、どの条項が拘束力を持つのかを明確に区別することが不可欠です。
SPAを補完する付随契約とスケジュールの重要性
SPA本体は原則的な枠組みを規定しますが、詳細な情報は「スケジュール (Schedules)」や「付属文書 (Annexes/Exhibits)」としてSPAに添付されます。また、特定のリスクを管理するために、SPAとは別個の付随契約が締結されることもあります。
- スケジュール: 表明保証条項で言及された「例外事項」や、売買対象資産の詳細リスト、重要な契約の写しなどが記載される。SPA本文をシンプルに保ちつつ、膨大な情報を参照可能にする役割。
- 従業員取扱契約: 買収後の従業員の処遇(雇用継続、退職金制度の取扱いなど)を定める。
- 事業譲渡契約 (Asset Purchase Agreement; APA): 株式ではなく特定の事業資産を売買する場合に使用される、SPAに相当する中心契約。
デューデリジェンス報告書とSPAの密接な関係
デューデリジェンス(買収監査)は、単なる情報収集ではなく、その結果が直接SPAの条項設計に反映される、契約交渉のための核心的なプロセスです。
買い手側のデューデリジェンスチームが発見したリスクや課題は、以下の形でSPAに織り込まれ、買い手を保護する役割を果たします。
- 表明保証条項の具体化・拡張: デューデリで判明した特定の事象(例:ある製品に関する特許訴訟リスク)について、SPAの表明保証条項に特化した項目を追加し、売り手にその状態について保証させる。
- 免責事項 (Disclosure Letter) への記載: 売り手は、デューデリで開示した事実を「免責事項」としてSPAに添付することで、それに関する表明保証違反の責任を免れる。買い手は、開示されたリスクを承知の上で買収することを意味する。
- クロージング条件の設定: 重大な未解決問題(例:重要な許認可の未取得)がある場合、その解決をクロージングの前提条件とする。
- 価格交渉・補償条項への影響: 発見されたリスクの重大性に応じて、買収価格の値引き交渉に繋げたり、将来発生した損害を売り手が補償する条項(補償条項; Indemnification)の対象に含めたりする。
したがって、英文M&A契約を読む際には、SPA本文だけでなく、これらの関連文書を相互に参照しながら、取引全体のリスクプロファイルを把握することが求められます。
デューデリジェンスから契約書起草へ:リスクの発見と契約への落とし込み
デューデリジェンス(DD)は、単なる情報収集の段階ではありません。その結果は、M&A契約書の具体的な条項に直接反映させるための「素材」として活用されます。DDで発見されたリスクを適切に契約書に落とし込まなければ、買い手は未知の債務や問題を引き継ぐことになり、買収の価値が大きく損なわれる可能性があります。本セクションでは、DDの成果をどのように契約書に織り込むのか、その実務的なプロセスを解説します。
財務・法務DDの結果が表明保証条項の『素材』になる
DDで明らかになった過去の不祥事や潜在的な法的リスクは、売り手が自社について「真実である」と保証する「表明保証条項」の例外事項として扱われます。この例外事項は、契約書本体とは別に作成される「例外表」に詳細に記載されます。例えば、DDで発覚した過去の税務調査の問題点は、契約書上で「税務に関する表明保証」の例外として開示され、買い手はそれを承知の上で契約を締結したことになります。これにより、後にその問題が表面化しても、売り手に対する損害賠償請求が制限される仕組みです。
表明保証条項は「DDで発見された問題を開示することで、買い手を保護する」ためのものです。売り手は例外表で全ての問題を正直に開示する義務があり、開示されていない問題が後から見つかれば、買い手は売り手に損害賠償を請求できます。
買収価格に直結するリスクを特定・定量化する手順
特に財務DDで発見されたリスクは、直接的に買収価格に影響を与えます。代表的な例が「価格調整条項」です。これは、最終的な買収価格を、決算日時点の実際の運転資本や純負債の額に基づいて調整する仕組みです。DDでは、棚卸資産の評価が適正か、売掛金の回収可能性はどの程度か、未払い債務は過小計上されていないかなどを詳細に分析し、その結果を価格調整の計算式に組み込みます。
財務・法務DDを実施し、棚卸資産の評価損や未計上の訴訟リスクなど、価格に影響を与える要素を特定します。
- 価格調整条項:運転資本や純負債の定義に反映
- 表明保証条項:例外表に詳細を開示
- 補償条項:特定のリスクに対する補償額や期間を設定
リスクを金額に換算し、最終的な買収価格や補償条件について交渉します。
DDで見落としがちな『人的リスク』と契約での対応策
財務や法務のリスクに比べて軽視されがちなのが、人的リスクです。特に創業者や特定の技術・営業のキーマンが退職してしまうと、買収した企業の価値が大きく毀損する恐れがあります。DDでは、キーマンの雇用契約内容、退職金制度、モチベーションなどを調査します。契約書では、「従業員関連表明保証」に加えて、キーマンとの「継続雇用契約」や「非競争契約」を個別に締結することが一般的です。これにより、買収後も重要な人材が離脱しないよう法的に担保します。
- 従業員関連表明保証:全従業員のリストが正確であること、未払い賃金がないことなどを保証。
- キーマンの継続雇用契約:買収後の一定期間の在籍、報酬条件、役職などを契約で定める。
- 非競争・守秘義務契約:退職後も競合他社で働かないこと、会社の秘密を漏らさないことを約束させる。
このように、DDは契約書起草の「設計図」となる重要なプロセスです。発見されたリスクを適切な契約条項に落とし込むことで、買い手は不測の事態から身を守り、売り手は開示したリスクについての責任範囲を明確にすることができるのです。
- デューデリジェンスの結果は、契約書のどの部分に最も強く反映されますか?
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最も強く反映されるのは「表明保証条項」とその「例外表」、そして「価格調整条項」です。表明保証の例外表はDDで発見された問題点の一覧表となり、価格調整条項の計算式には財務DDの分析結果が組み込まれます。
- 「例外表」に開示されなかった問題が後から見つかった場合はどうなりますか?
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売り手はその問題について表明保証違反の責任を負います。買い手は、通常、契約で定められた補償条項に基づき、売り手に対して損害賠償を請求することができます。
- 人的リスクへの対応として、継続雇用契約を結ぶメリットは何ですか?
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法的拘束力によってキーマンの離脱を防ぐことに加え、報酬や役職などの条件を事前に明確にすることで、買収後の統合プロセスをスムーズに進められる点が大きなメリットです。従業員の不安を軽減し、事業継続性を高めます。
株式売買契約(SPA)の核心を読み解く:取引構造と主要3大リスク条項
デューデリジェンスで発見したリスクを最終的にどのように扱うか、その答えは株式売買契約(Share Purchase Agreement, SPA)の中にあります。SPAは、株式の売買価格、支払条件、さらに重要なのは買収前に存在したリスクを誰が、どの程度、負担するのかを定めたルールブックです。ここでは、取引構造の根幹を成す表明保証条項と、それに連動する価格調整の仕組みについて焦点を当てます。
第1のリスク管理:表明保証条項の『買収前リスク』カバー
表明保証(Representations and Warranties)は、売り手が契約締結時点での目標会社の状態について「事実である」と表明する一連の陳述です。法的紛争や未払債務、契約違反、資産の所有権といった、デューデリジェンスで明らかになった、または発見し得なかったすべての「過去のリスク」を対象とします。
この条項の役割は二つあります。第一に、買い手がクロージング後に表明内容と異なる事実(表明保証違反)を発見した場合、売り手に対して損害賠償を請求する法的根拠を提供します。第二に、交渉プロセスそのものであり、売り手がどの事項について保証に消極的かを見極めることで、潜在リスクを察知する材料となります。
- 表明(Representation): 「事実についての陳述」です。例えば、「会社には重要な訴訟は存在しない」という表明が虚偽であった場合、違反となります。
- 保証(Warranty): 「将来にわたるある状態を約束する」性質が強いものもありますが、SPAでは「表明」とほぼ同義で用いられることが一般的です。
- 補償(Indemnity): 表明保証違反が発生した場合の、売り手から買い手への金銭的補償を約束する条項です。SPAでは損害賠償規定と一体として規定されます。
表明保証だけではリスク管理は完結しません。売り手は当然、無期限・無制限の責任を負いたくないため、免責条項(Limitation on Liability)を設けます。これは、損害賠償請求が可能な期間(存続期間)、最低請求額(最小額)、賠償総額の上限(キャップ)、対象から除外されるリスク(免責事項)などを定める、交渉の核心部分です。
約定条項とクロージング条件:リスクのある状態での取引成立を防ぐ
表明保証が「過去の状態」についての保証であるのに対し、約定条項(Covenants)は、契約締結後からクロージングまでに売り手と買い手が「何をすべきか(積極的約定)」、そして「何をしてはならないか(消極的約定)」を定めた行動規範です。例えば、通常営業過程外の契約締結の禁止、重要従業員の退職防止策などがこれに当たります。
さらに、クロージング条件(Closing Conditions)は、取引が最終的に成立するための前提条件です。当局からの認可取得、第三者からの同意、そして「表明保証が締結時点において真実であること」などが条件として列挙されます。これらの条項は、デューデリジェンス後に新たに発生したリスクや、売り手が約束を守らなかった場合に、買い手が取引から離脱するための安全装置となります。
- 契約締結時点まで: 表明保証が、会社の「過去から現在までの状態」をカバー。違反が見つかれば、将来の損害賠償請求権の発生要因となる。
- 締結後〜クロージングまで: 約定条項が、売り手の行動を拘束し、会社の価値が毀損されないように管理。違反があれば、クロージング条件不充足として取引の続行を止められる。
- クロージング後: 表明保証違反が発覚した場合、免責条項の範囲内で売り手に損害賠償を請求。免責条項は、この請求可能性を制限する。
買収価格の仕組み:固定価格、調整価格、earn-outの使い分け
リスクを条項で管理する一方で、価格そのものをリスクに応じて変動させる仕組みがあります。主な価格決定方式は以下の3つです。
| 方式 | 仕組み | リスク分担の特徴 | 主な使用場面 |
|---|---|---|---|
| 固定価格 | 契約締結時に確定した価格で支払う。 | クロージング前のリスクは買い手がほぼ全て負担。シンプルだが買い手にとってリスクが高い。 | デューデリジェンスが徹底でき、将来の業績が安定していると確信できる場合。 |
| 調整価格 (PPA) | クロージング日時点の純資産など、一定の財務数値(Net Working Capital等)に基づき最終価格を精算。 | クロージングまでの営業活動による財務状態の変動リスクを売り手と買い手で共有。最も一般的な方式。 | 運転資金の変動が大きい企業や、締結からクロージングまでの期間が長い場合。 |
| 業績連動支払い (Earn-out) | 買収後の一定期間の業績(利益や売上)に応じて追加対価を支払う。 | 買収後の業績不確実性というリスクを売り手も分担。売り手の経営陣の継続関与を促す。 | 将来の成長性が大きく、その実現性に売り手と買い手の間で認識差があるスタートアップ買収等。 |
調整価格(Post-Closing Purchase Price Adjustment, PPA)は、デューデリジェンスで算定した企業価値の前提となる財務数値が、クロージングまでに変動するリスクに対処します。また、Earn-outは、定量化が難しい将来の成長期待を価格に反映させ、買収後も売り手経営陣のインセンティブを維持する機能を持ちます。これらの価格メカニズムは、表明保証や免責条項と組み合わさることで、デューデリジェンスで発見しきれなかった、あるいは将来発生する不確実性に対応する総合的なリスクマネジメント・ツールとして機能するのです。
SPAにおける実務上の注意点
- 表明保証違反の損害賠償請求は、いつまで可能ですか?
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可能な期間は免責条項で定められます。一般的な契約では、税務関連の表明保証違反は法定の更正期間に合わせて長く(例:7年)、それ以外は1〜3年程度の存続期間が設定されます。契約交渉では、この期間の長さが重要なポイントとなります。
- 「調整価格」の計算で、よく争点となるのは何ですか?
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計算の基礎となる「正味運転資金(Net Working Capital)」の定義と、その算定に用いる会計方針(Accounting Principles)です。契約締結前に、これらの定義を詳細かつ明確に合意しておかないと、クロージング後に買い手と売り手の間で数値の解釈に相違が生じ、紛争の原因となります。
- Earn-outを設定する場合、買い手側はどのような点に注意すべきですか?
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業績指標の設定が最も重要です。売上高だけを指標にすると、買い手が利益を度外視して売上を伸ばすインセンティブが働き、長期的な企業価値を損なう可能性があります。利益やキャッシュフローなど、持続可能な成長を測る指標を組み合わせ、また買収後の経営に関する決定権限の範囲を明確に定めておく必要があります。
契約交渉の実践ワークフロー:レビュー・コメント・合意までの道筋
リスク条項の仕組みを理解したら、次は実際に契約書草案と向き合う具体的な作業手順です。レビューは物量との戦いであり、漫然と最初から読み始めると詳細な条文に引きずられ、契約全体の構造やリスクのバランスを見失う危険があります。ここでは、効率的に本質を見極めるための「読み方」と、実務上陥りやすい落とし穴について、実践的なワークフローで説明します。
初めてのSPAレビュー:どこから、どの順序で読むべきか
契約書レビューの第一歩は、全体像を把握することです。100ページを超えることもある契約書を、最初から一字一句精査するのは非効率です。「木を見て森を見ず」の状態を避けるため、外堀から埋めていく読み方を身につけましょう。
契約書の冒頭にある「定義条項」を最初に読みます。ここで使われる重要な用語の定義を押さえることで、後の条文の理解が格段に楽になります。同時に、契約書末尾の「付属文書」や「別紙」に目を通し、何が契約の対象になっているのか(資産リスト、従業員名簿、特許リストなど)を把握します。
次に、契約書の最後の方にある「一般条項」をざっと読みます。「準拠法」「紛争解決」「通知方法」「完全合意」といった、どの契約にも共通する基本的なルールです。これにより、契約の法的枠組みと、何か問題が起きた際の手続きがどうなるのかを確認します。
全体の枠組みが把握できたら、いよいよ核心部分である表明保証条項と免責条項に取り組みます。ここでのポイントは、デューデリジェンスで発見した具体的な問題(例えば、ある特許権の登録に手続き上の瑕疵がある)を根拠に、表明保証の文言修正や、その問題を例外事項としてリストに追加することを要求することです。具体的な事実に基づくコメントは、交渉力を大きく高めます。
次に、売買価格、支払方法、価格調整の仕組みを確認します。価格調整は、買収後の財務諸表に基づいて最終価格が決まる仕組みで、計算方法や争いが起きた際の解決手続きが明確かどうかをチェックします。
最後に、取引が完了するための条件(例:監督官庁からの認可取得、取締役会の承認など)が何であるか、その条件が合理的で実現可能なものかを確認します。ここに不備があると、契約は署名されても取引が完了しないリスクがあります。
- 免責条項の交渉では、具体的にどこに注目すべきですか?
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保証期間の長さや免責限度額の大小は重要ですが、それだけではありません。特に重要なのは以下の3点です。
- カバレッジ:すべての表明保証が免責対象なのか、重要な保証(例:所有権、合法性に関する保証)は免責から除外されているか。
- 免責の起算点:売り手が損失を知った時点から免責されるのか、それとも買い手が請求を提起した時点からか。前者は売り手に有利です。
- 免責限度額の下限:損失が一定額(下限)に満たない場合は売り手は免責されないが、その下限額が実情に即しているか。
交渉では、単に「保証期間を延長してほしい」ではなく、「デューデリジェンスでA製品の特許権に未解決の懸念があるため、知的財産権に関する保証(第X条)の期間を2年から3年に延長し、同時に免責額の下限を引き下げることを提案します」のように、具体的な事実と論理に基づいて主張することが成功のカギです。
クロージング前の最終チェック:条件充足と最終文書の確認
契約書の交渉がまとまり、署名を控えた最終段階で最も重要なのは、「クロージング条件」が確実に充足されることの確認です。いくら完璧な契約書を交わしても、取引完了の条件が満たされなければ意味がありません。実務上、クロージング当日の混乱や遅延は、多くがこの最終確認プロセスの不備から生じます。
- 条件充足証明書:売り手・買い手双方が、全てのクロージング条件が満たされたことを相互に確認・証明する文書。
- 取締役会決議書:自社の取締役会が本取引を承認したことを示す議事録の写し。会社法上の手続きが適正に行われた証拠となります。
- 関連する許認可・同意書:競業禁止契約の解除同意書や、重要な取引先からの取引継続に関する同意書など。
- 株式名簿・印鑑証明書:売却対象の株式が売り手の所有であることを証明する書類。
- 最終版の付属文書:クロージング日現在の最新の資産リスト、従業員名簿、債務リストなど。
これらの文書は、契約書の署名・交換と同時、または直前に取り交わされます。準備漏れや内容の不備があると、取引の遅延や、最悪の場合、契約上の重大な条件違反とみなされるリスクさえあります。プロジェクトチーム内で責任者を明確にし、チェックリストを用いて確実に準備を進めることが、円滑なクロージングのための最後の、そして最も重要な実務作業です。
クロージング後を見据えた契約設計:統合リスクと将来の紛争予防
デューデリジェンスや契約交渉が終わり、株式の対価が支払われたその瞬間、買収は「完了」したように感じるかもしれません。しかし、法的・手続き的なクロージングは、新たな経営課題である買収後統合(PMI)のスタートラインに過ぎません。ここからは、契約書に織り込まれた条項が、実際の事業運営にどのような影響を及ぼし、将来の紛争を未然に防ぐ役割を果たすかを見ていきます。
クロージングは、買収プロセスの「終わり」ではなく、PMI(買収後統合)という新たな経営プロセスの「始まり」です。契約書は、この統合フェーズの成否を左右する重要なガイドラインとなります。
買収後統合(PMI)の成否を左右する『従業員・顧客』関連条項
PMIの最大の課題は、人的資源と収益の源泉を円滑に引き継ぐことです。契約書における「従業員」と「顧客・契約」に関する表明保証や約定は、この点を担保する生命線となります。
- 従業員関連の表明保証:退職金債務の正確性、集団的労働協約の有無、未払い残業代の不存在など。これらは買収直後の想定外の資金流出を防ぎます。
- 顧客・取引先関連の表明保証:重要顧客契約の継続性、契約上の変更・解約条項(チェンジ・オブ・コントロール条項)、独占的ライセンスの有効性など。主要な収益源の安定的な移転を確認します。
特に、主力顧客との契約に「支配権変更条項」が含まれている場合、買収を理由に契約条件の見直しや解約が可能になるリスクがあります。このような条項の有無とその内容は、PMI計画を立てる上で最優先で確認すべきポイントです。
紛争予防の観点から見る『準拠法と裁判管轄』条項の重要性
国内取引ではあまり意識されませんが、国際的なM&Aでは「どこの国の法律で契約を解釈し、どこの国の裁判所で争うか」を定める条項が極めて重要です。これは、将来、何らかの紛争が生じた際のコストとリスクを事前に決めるものと言えます。
- 交渉力の原則:一般的に、売り手側は自国法、買い手側は自国法を主張します。交渉力が均衡している場合、第三国の法律(例:イングランド法、ニューヨーク州法)が妥協案となることもあります。
- 裁判か仲裁か:裁判は公開で手続きが長引きやすい一方、仲裁は非公開で迅速な解決が期待できますが、費用は高額になる傾向があります。契約金額が大きく、事業内容の機密性が高い場合は仲裁条項が選ばれやすいです。
- 言語と場所:仲裁地と仲裁で使用する言語も交渉事項です。自国に近く、自国語が使用できる場所を指定することで、紛争発生時の負担を軽減できます。
準拠法が異なれば、表明保証の解釈や損害賠償の範囲が変わることがあります。また、外国で裁判を行うことは、言語の壁や弁護士費用の増大を意味します。これらの条項は、契約金額ほどの直接的なインパクトはなくとも、潜在的なリスクを長期的に管理する「紛争予防の保険」として位置づけられます。
M&A契約の知識を次のステップへ:JV契約や資産買収への応用
株式買収(SPA)を通じて学んだ契約設計の考え方は、他の複雑な取引にも応用可能な汎用的なスキルです。その核心は、リスクの特定、配分、管理のフレームワークにあります。
- 合弁事業(JV)契約への応用:JV契約では、出資者間の利害調整が中心となります。株式買収で学んだ「将来の不確実性への対応」(価格調整、補償)は、JVの事業計画と実績の乖離を調整するメカニズム(経営参加権、利益配分の調整)として応用できます。
- 資産買収(APA)への応用:資産買収では、引き継ぐ資産と負債を特定する必要があります。SPAの表明保証条項の考え方は、引き継ぐ対象資産の状態を保証する「資産保証」条項として、また引き継がない負債を明確に除外する「負債引受除外」条項として直接応用できます。
M&A契約書の学習で得られる最大の価値は、単なる条項の暗記ではなく、「取引の本質的なリスクをどのように契約という形で構造化するか」という思考法そのものにあります。この思考法は、あらゆるビジネス上の合意形成に役立つ、リーガルマインドの基礎となります。
- PMIで特に注意すべき契約条項は何ですか?
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顧客契約に含まれる「支配権変更条項」(Change of Control Clause)です。この条項があると、買収を理由に取引条件の見直しや契約解除が可能になるため、収益基盤に直接的な影響を与えます。デューデリジェンスでその有無と内容を確認し、PMI計画に反映させることが重要です。
- 国際M&Aで準拠法を第三国法(例:イングランド法)にすることのメリットは?
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交渉当事者双方のいずれの国内法でもない中立的な法域を選択することで、公平性を確保できます。また、国際取引に関する判例が豊富で予測可能性が高い法律を選ぶことで、将来の紛争時の解釈がより明確になるという利点もあります。
- 資産買収(APA)と株式買収(SPA)では、表明保証の考え方はどのように違いますか?
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基本的なリスクを特定し保証するという目的は同じですが、対象が異なります。SPAでは「会社」そのものの状態について売り手が保証します。一方、APAでは引き継ぐ特定の「資産」と「負債」の状態について保証がなされ、会社のその他の部分(引き継がない負債など)は保証の対象外となります。APAでは対象の範囲を明確に定義することがSPA以上に重要です。

