国際的な研究プロジェクトや海外の研究室で実験プロトコルを開くと、そこに書かれているのは日本語のマニュアルとは全く異なる表現です。専門用語の壁だけでなく、独特の文型や命令形が並んでいて、最初は戸惑う方がほとんどでしょう。しかし、プロトコル英語は一定のパターンに従って書かれており、その骨格を理解すれば、誰でも確実に読解できるようになります。このセクションでは、細胞生物学や生化学の実験プロトコルを読みこなすために、最初に知っておくべき6つの基本文型と命令形の使い方を徹底解説します。
英語プロトコルを読解する:初心者がまず押さえるべき6つの文型と命令形

英語のプロトコルは、実験手順を明確かつ効率的に伝えることを目的としています。そのため、一般的な論文とは異なり、文章の構造が非常にシンプルです。ここでは、最も頻繁に登場する要素を6つの文型に分類し、それぞれの役割と文法を学びます。
プロトコル英語の骨格:「命令形」と「受動態」の使い分け
プロトコルで最も多用されるのは、動詞を原形で始める命令形です。これは「〜しなさい」という直接的な指示を表します。
- Add 100 μL of PBS to the tube. (チューブにPBSを100μL加える。)
- Centrifuge the sample at 10,000 g for 5 minutes. (サンプルを10,000gで5分間遠心する。)
- Incubate the plate at 37°C overnight. (プレートを37°Cで一晩インキュベートする。)
一方、受動態(be動詞 + 過去分詞)も頻繁に登場します。これは、誰が行うかよりも、「何がされるのか」という結果や状態に焦点を当てたい場合に使われます。特に、試薬やサンプルの一般的な扱い方、標準的な手順を示す際によく見られます。
- The cells are washed twice with PBS. (細胞はPBSで2回洗浄される。)
- The mixture is then heated to 95°C. (その後、混合液は95°Cまで加熱される。)
- All reactions are performed in triplicate. (全ての反応は3連で行われる。)
「The cells are washed…」のような受動態を見て、「誰が洗うの?」と混乱することがあります。プロトコルにおいて、この受動態は「あなたが洗うのです」という指示です。動作主(実験者)が自明のため省略され、「細胞を洗う」という行為そのものが標準手順として記述されているのです。命令形と受動態は場面によって使い分けられており、どちらも実験者への指示である点は同じです。
試薬・溶液調製で頻出する「Prepare」と「Adjust」の使い方
溶液を調製する際の基本動詞が「Prepare」と「Adjust」です。これらの後には、調製する溶液の濃度や体積、pHなどの具体的な数値が続くパターンを覚えましょう。
「Prepare」(調製する)は、新しい溶液を作る際に使います。
- Prepare 100 mL of 1x TAE buffer. (1x TAE緩衝液を100mL調製する。)
- Prepare a 10 mM stock solution of ATP. (ATPの10 mMストック溶液を調製する。)
「Adjust」(調整する)は、既存の溶液のpHや体積、濃度を微調整する際に使います。特にpH調整では「to」が必須です。
- Adjust the pH to 7.4 with HCl or NaOH. (HClまたはNaOHを用いてpHを7.4に調整する。)
- Adjust the final volume to 50 mL with distilled water. (蒸留水で最終体積を50mLに調整する。)
時間と温度を表す前置詞「for」「at」「to」の使い分け
実験条件の中で最も重要な時間と温度の表記は、前置詞の使い分けが決め手です。これらは「incubate for 30 min at 37°C」のように、一塊の決まり文句として覚えてしまいましょう。
| 英語プロトコル文 | 和訳と解説 |
|---|---|
| Vortex the tube for 10 seconds. | チューブを10秒間ボルテックスする。 (for = 期間を表す) |
| Heat the sample at 95°C. | サンプルを95°Cで加熱する。 (at = 特定の温度「で」) |
| Heat the sample to 95°C. | サンプルを95°Cまで加熱する。 (to = 目標温度「まで」) |
| Incubate for 1 hour at room temperature. | 室温で1時間インキュベートする。 (時間for → 温度atの順が一般的) |
表の通り、「for」は時間の長さ(〜の間)、「at」は特定の温度や場所(〜で)、「to」は変化の目標点(〜まで)を表します。「95°C at 5 minutes」とは言わず、「at 95°C for 5 minutes」が正しい順序です。この語順と前置詞の組み合わせは、ほぼ全てのプロトコルで共通しているため、一度理解すれば応用が効きます。
このセクションで学んだ「命令形と受動態」「Prepare/Adjust」「for/at/to」の3点は、英語プロトコルを読むための最初の柱です。これらの基本パターンを押さえるだけで、未知のプロトコルに直面した際の心理的ハードルは大きく下がります。
プロトコルを理解するだけでなく、実際に研究室で手を動かす際、英語を介した指示やコミュニケーションが必要になります。試薬の調製、細胞培養の基本操作、日常的に使用する機器の設定画面など、実践の場で出会う表現を理解することで、国際的な研究環境でも自信を持って作業を進められるようになります。
実験室内の日常業務で使う英語表現:試薬調製から機器操作まで
実験室内での日常業務は、英語の指示文や機器画面との対話の連続です。ここでは、細胞生物学や生化学の現場で頻出する、試薬調製、細胞培養、機器操作の三つの場面に焦点を当て、必須の語彙と表現を身につけましょう。
溶液調製の指示を正確に実行するために必要な語彙
プロトコルには、溶液の調製手順を記述するために、いくつかの決まった動詞が使われます。これらの動詞には微妙な違いがあり、正確に理解することでミスを防ぐことができます。
- Dissolve:固体の試薬を液体(溶媒)に溶かす。完全に溶けて均一な溶液になるまで攪拌することを意味します。例:Dissolve 5 g of NaCl in 100 mL of distilled water. (塩化ナトリウム5gを蒸留水100mLに溶かす)
- Dilute:既存の溶液を溶媒で薄める。濃度を下げる操作です。例:Dilute the stock solution 1:10 with PBS. (原液をPBSで1:10に希釈する)
- Add:他の成分を加える。最も一般的な表現です。
- Mix / Vortex:混ぜる / 渦を立てて混ぜる。Vortexは特にチューブを振盪器にかけて激しく混ぜることを指します。
- Aliquot:大きな容量の溶液を小分けにする。長期保存や汚染防止のために行います。動詞としても名詞(小分けした1本)としても使われます。
- Adjust pH to:pHを特定の値に調整する。例:Adjust pH to 7.4 with HCl.
- Bring to volume:メスフラスコなどで、マークまで溶媒を加えて正確な体積にする。
「Prepare」と「Make」の違い
どちらも「調製する」と訳せますが、Prepareは計量・混合・pH調整など一連の工程を経て最終的な溶液を得るニュアンスが強いです。一方、Makeはよりシンプルな混合や希釈を指すことが多いです。プロトコルでは「Prepare a 10% SDS solution.」のように、よりフォーマルなPrepareが好まれます。
セルカルチャー操作で使う動詞:Seed, Split, Harvest, Count
細胞培養の基本操作は、限られた動詞の組み合わせで記述されます。これらの動詞の意味と文脈を理解すれば、培養手順書を迷うことなく読み進められます。
- Seed cells:細胞を培養容器(ディッシュやウェル)に播種する。細胞を新しい環境に「植え付ける」操作です。例:Seed HeLa cells at a density of 1×10^4 cells/well in a 96-well plate.
- Split (or Passage) cells:コンフルエント(融合)した細胞を新しい培養容器に分けて継代する。細胞を「分割する」操作。Split ratio(分け率、例:1:3, 1:10)でどのくらい分けるかを指定します。
- Harvest cells:培養容器から細胞を回収する。トリプシン処理後、遠心分離して細胞ペレットを得る一連の工程を含みます。
- Count cells:細胞数を計数する。通常、ヘマサイトメーターや自動細胞計数器を使用します。
- Change / Replace the medium:培養液を交換する。
- Incubate:インキュベーター内で一定条件(温度、CO2濃度)で培養・反応させる。
「Culture」は「培養する」という動詞ですが、操作の指示としては「Seed」や「Incubate」の方が具体的です。プロトコルでは「Culture the cells for 24 hours.」よりも「Incubate the cells for 24 hours.」と書かれることが一般的です。
実験機器のマニュアルや設定画面で目にする頻出英語
遠心分離機、分光光度計、顕微鏡など、日常的に使う機器の設定画面やマニュアルは英語表記であることがほとんどです。主要な設定項目の英語表現を知っておけば、操作に戸惑うことはなくなります。
- 遠心分離機 (Centrifuge)
RCF (Relative Centrifugal Force):相対遠心力。「×g」で表されます。回転数(rpm)よりも確実な指標です。
rpm (Revolutions Per Minute):1分あたりの回転数。
Time:遠心時間。
Temperature:設定温度。冷却遠心の場合。
Brake:ブレーキ。強さの設定(On/Offまたは段階)。 - 分光光度計 (Spectrophotometer)
OD (Optical Density) / Abs (Absorbance):吸光度。
Wavelength (λ):測定波長(例:595 nm for Bradford assay)。
Blank:ブランク測定。基準をゼロに設定するためのサンプル。
Measure / Read:測定を開始する。 - 顕微鏡 (Microscope)
Magnification:倍率(例:10x, 40x)。
Focus (Coarse / Fine):焦点調整(粗動 / 微動)。
Brightness / Contrast:明るさ / コントラスト。
Exposure:露光時間(撮影時)。 - 共通ボタン・表示
Start / Run:開始。
Stop / Pause:停止 / 一時停止。
Set / Enter:設定 / 入力確定。
Error / Warning:エラー / 警告表示。エラーコードが表示されたらメッセージをメモしましょう。
これらの表現は、実験ノート(ラボノート)を英語で記録する際にもそのまま活用できます。具体的な動詞を使って「何をしたか」を記述することで、後から見返した時や他の研究者と共有する時に、内容が明確に伝わる記録となります。
試薬調製、細胞培養、機器操作という日常業務の三本柱で使われる英語は、実は非常に限定的でパターン化されています。このセクションで紹介した語彙と表現をマスターすれば、研究室での実践的なコミュニケーションの第一歩は確実に踏み出せていると言えるでしょう。
英語で実験ノートを書く:国際共同研究の基礎となる記録のルール



実験プロトコルを読み、実際に作業を進めることができても、研究の成功は最終的に再現性のある詳細な記録にかかっています。国際的な研究室や共同研究では、実験ノートを英語で正確に記述する能力が必須です。英語のラボノートは、単なる備忘録ではなく、第三者が見ても追試が可能な公的記録であり、将来の論文執筆や特許出願の基盤となります。
良いラボノートの条件と英語記載の基本フォーマット
優れた実験ノートは、日付、タイトル、目的、方法、結果、考察という基本構成を一貫して守っています。英語で記録する際も、この骨格を明確にすることが第一歩です。
- Date (日付): 実験を行った日付(例: 26 July)。
- Title (タイトル): 実験内容を端的に表す短いタイトル。
- Objective / Aim (目的): この実験で明らかにしたいこと。
- Materials & Methods (材料と方法): 使用した試薬、機器、具体的な手順。
- Results (結果): 得られた生データと観察結果。
- Discussion / Notes (考察・備考): 結果の解釈、失敗の原因、次の方針。
実験ノートの冒頭には、必ず実験日と内容を簡潔に表すタイトルを書きます。タイトルは動詞から始めるのが一般的です。
- 例: “Determination of protein concentration using Bradford assay”
- 例: “Passaging and seeding of HeLa cells for cytotoxicity test”
次の段落では、実験の目的を定型表現を使って書きます。これは、後でノートを読み返す自分や共同研究者にとって、実験の意図を明確にする重要な部分です。
プロトコルをそのまま写すのではなく、実際に行った手順、使用した試薬のロット番号、機器の設定値など、再現に必要なすべての情報を記入します。結果は生データと観察結果を区別して記載します。
実験目的(Objective)と仮説(Hypothesis)を簡潔に記述する
目的の記述は、明確で測定可能な表現が求められます。「何かを調べる」ではなく、「何を、どのように測定して、何を明らかにするか」を書きます。
頻繁に使われる定型表現を覚えておくと便利です。
- The aim / objective of this experiment is to… (この実験の目的は〜することです)
- This experiment was designed to investigate / examine / determine… (この実験は〜を調査/検討/決定するためにデザインされました)
- We hypothesized that… (我々は〜と仮説を立てた)
結果の記録:定量的データと観察所見の書き分け方
結果のセクションでは、数値データと観察結果を混同せず、別々に記録することが重要です。数値は単位を必ず伴い、観察結果は客観的で具体的な形容詞を使って描写します。
定量的データ (Quantitative Data): 測定値。吸光度、濃度、細胞数、重量など。必ず単位(OD595, μM, cells/mL, mgなど)を記載します。生データと計算後のデータの両方を記録するのが理想的です。
定性的所見 (Qualitative Observations): 目視または顕微鏡観察による描写。色の変化、沈殿の有無、細胞の形態など。
観察結果を記述する際に役立つ表現をいくつか紹介します。
- 細胞培養: confluent (コンフルーエントの), granular (顆粒状の), clumped (凝集した), elongated (細長い), rounded (丸みを帯びた)
- 溶液・沈殿: clear (透明な), cloudy (濁った), turbid (白濁した), precipitated (沈殿した), formed a pellet (ペレットを形成した)
- 色の変化: turned blue/violet/yellow (青/紫/黄色に変わった), became opaque (不透明になった)
最後に、結果の下には簡単な考察や次回の実験への備考を加えます。予想と異なる結果が出た場合は、その理由を推測します。”The result was unexpected. Possible reasons include…” (結果は予想外だった。考えられる理由は…) といった形で記録を締めくくります。この一連のルールに従って英語で実験ノートを書く習慣を身につけることで、グローバルな研究環境で信頼される研究者の基礎が築かれます。
失敗とトラブルシューティングを英語で記録・報告する方法



実験は失敗や予期せぬ結果との戦いです。しかし、これらの出来事を正確に記録し、効果的に共有・報告する能力こそが、研究を前に進めるための最も重要なスキルのひとつです。グローバルな研究室では、このプロセスを英語で行う必要があります。混乱や感情を排し、事実に基づいた客観的な記述と報告が、問題の早期解決とチーム全体の学習につながります。
実験中の予期せぬ事象を客観的に記述する表現
トラブルが起きたとき、まずすべきことは、起きた事実をそのまま記録することです。感情的な表現や推測を交えず、観察された現象をシンプルな英語で書きます。
- 事実に基づく記述: “The cells did not attach to the plate.” (細胞がプレートに接着しなかった。) “The protein band was fainter than usual.” (タンパク質のバンドが通常より薄かった。)
- 期待との違い: “The yield was significantly lower than expected.” (収量が予想より著しく低かった。) “The reaction mixture turned brown instead of the clear yellow color described in the protocol.” (反応混合物が、プロトコルに記載された透明な黄色ではなく茶色に変わった。)
- 機器・試薬の問題: “The centrifuge made an unusual noise during the spin.” (遠心分離機が回転中に異常音を立てた。) “The new batch of antibody showed high background in the control.” (新しいロットの抗体で、対照群に高いバックグラウンドが認められた。)
問題を特定し、原因を推測するための英語フレーズ
事実を記録した後、なぜそれが起こったのかを考える段階です。ここでは、不確実な推測であることを明示する控えめな表現を使うことが重要です。
- 可能性を示す: “This might be due to…” (これは…が原因かもしれない。) “A possible explanation is that…” (考えられる説明は…ということです。)
- 原因を絞り込む: “I suspect the temperature was too high during incubation.” (インキュベーション中の温度が高すぎたのではないかと思います。) “The most likely cause is contamination of the culture medium.” (最も可能性が高い原因は、培地の汚染です。)
- 仮説を立てる: “If the pH was off, that could explain the precipitation.” (pHがずれていたとしたら、それが沈殿の説明になるかもしれません。) “One hypothesis is that the enzyme lost activity due to improper storage.” (酵素が不適切な保存により活性を失った、という仮説が考えられます。)
英語では “Negative results are still results.” (否定的な結果も結果である) と言います。実験が計画通りに進まなかったとしても、それは貴重なデータです。何がうまくいかなかったかを明確に記録することで、同じ過ちを繰り返さず、プロトコルの最適化や新しい発見につながります。失敗の記録を恥じたり省略したりせず、積極的に詳細に書き残す姿勢が、国際的な研究者としての信頼を築きます。
研究室メンバーに状況を報告したり助言を求める際の会話例
問題を一人で抱え込まず、適切なタイミングでチームメンバーや指導者に報告・相談することは重要です。効果的な報告は、状況を簡潔に説明し、具体的な助言を求める形が理想的です。
- 細胞が増殖しないのですが、何か考えられる原因はありますか?
-
I’m having an issue with my cell culture; the cells are not proliferating. Could you take a look when you have a moment? (細胞培養で問題が起きていて、細胞が増殖しません。お時間のある時に見ていただけませんか?)
この言い方は、問題を提示しつつ相手の時間を尊重する丁寧な依頼です。”Could you take a look?”はよく使われるフレーズです。
- ウェスタンブロッティングで非特異的なバンドが出続けます。試したことを共有してもいいですか?
-
I keep getting non-specific bands in my Western blot. I’ve tried increasing the blocking time and adjusting the antibody dilution, but it didn’t resolve. Do you have any suggestions? (ウェスタンブロッティングで非特異的なバンドが出続けます。ブロッキング時間を延長したり、抗体の希釈倍率を調整してみましたが解決しませんでした。何か提案はありますか?)
自分で試した解決策を伝えることで、相手がより的確なアドバイスをしやすくなります。”Do you have any suggestions?”は助言を求める自然な表現です。
- この機器のエラーメッセージの意味がわかりません。
-
I’m not sure what this error message on the [instrument name] means. It says ‘Pressure Overload’. Have you seen this before? (この[機器名]のエラーメッセージが何を意味するのかわかりません。「Pressure Overload」(圧力過負荷)と表示されています。以前に見たことはありますか?)
具体的なエラーメッセージをそのまま伝えることが解決への近道です。”Have you seen this before?”は、経験を共有してほしいというニュアンスです。
報告・相談のポイント:状況を簡潔に説明 → 自分で試したことを伝える → 具体的に何を求めているかを明確にする。
問題を英語で記録し、議論することは、単なるコミュニケーションスキルを超えて、科学的思考を鍛える訓練でもあります。客観的な事実の記載、控えめな推測の提示、建設的な対話を通じて、研究室の一員としての信頼と、研究者としての分析力を同時に高めていくことができるのです。
論文のMaterials and Methods作成へ:実験記録から学術英語への昇華
詳細な英語の実験ノートが書けるようになれば、研究の記録としては十分かというと、そうではありません。次のステップは、その記録を国際的な学術誌に掲載される論文の「Materials and Methods」セクションに昇華させることです。このセクションは、誰が読んでも実験を正確に再現できることが使命であり、そのために必要な文体と情報の記載基準が確立されています。実験ノートの「個人的な記録」から、論文の「公的で客観的な記述」へと変換する技術を身につけましょう。
ラボノートの口語的記述を論文用の正式な文章に変換する
実験ノートでは、作業の流れを素早く記録するため、「We did…(私たちは…した)」といった能動態や、略語、砕けた表現が使われがちです。しかし、論文では研究そのものに焦点を当て、執筆者を主語としない客観的な文体が求められます。そのために最も一般的な方法が、「過去形の受動態」を用いることです。
能動態の「誰が」を省略し、受動態で「何が行われたか」を記述します。これにより、研究の手順そのものが客観的事実として前面に出てきます。
| 実験ノートの記述(口語的) | 論文での記述(正式) |
|---|---|
| We centrifuged the sample at 10,000 rpm for 10 min. (サンプルを10,000 rpmで10分間遠心した。) | The sample was centrifuged at 10,000 × g for 10 minutes. (サンプルは10,000 × gで10分間遠心分離された。) |
| I added 5 µL of enzyme to the mixture. (混合物に酵素を5 µL加えた。) | Five microliters of enzyme were added to the mixture. (5マイクロリットルの酵素が混合物に添加された。) |
| Then we incubated it at 37°C overnight. (その後、37°Cで一晩インキュベートした。) | Incubation was then performed at 37°C overnight. (その後、37°Cで一晩インキュベーションを行った。) |
「rpm」ではなく「× g」を使い、数値は文頭ではスペルアウトするなど、学術論文の表記ルールにも注意が必要です。
時制の使い分け:過去形と受動態の組み合わせ
Materials and Methodsでは、実際に行った実験手順はすべて過去形で記述するのが原則です。これは、論文を書いている「現在」ではなく、実験が行われた「過去」の事実を報告しているためです。この過去形と受動態の組み合わせが、このセクションの標準的な文体を形作っています。
- 標準的な記述: 「…was/were + 過去分詞」 (例: Cells were harvested.)
- 方法の説明: 確立された方法を参照する場合など、「…was performed」「…was carried out」といった表現も多用されます。
- 例外: 一般的な事実や、図表の説明を文中で行う場合は現在形を使うこともあります。 (例: Data are presented as mean ± SD.) しかし、具体的な実験操作は過去形で統一します。
再現性を担保するために必要な詳細情報の記載基準
文体を整えること以上に重要なのが、再現性を担保するための詳細な情報の記載です。実験ノートに書いていた情報を、論文の読者にもわかる形で過不足なく提示しなければなりません。不足があれば追試は不可能であり、過剰な記述は読みにくさの原因になります。
- 試薬・抗体: 製造メーカー名、国、カタログ番号、ロット番号(重要な場合)。純度や濃度も明記。
- 実験機器・ソフトウェア: メーカー、機種名、バージョン番号(ソフトウェアの場合)。
- 生物学的材料: 細胞株の種類、供給元、株番号。動物実験の場合は種、系統、性別、週齢、飼育条件など。
- 調整した試薬・バッファー: 最終濃度、pH、調整に用いた試薬の詳細を含む完全なレシピ。
- 実験条件: 温度、時間、濃度、pH、光条件など、結果に影響しうるすべてのパラメーター。
- 統計解析: 使用した統計ソフト、検定方法、有意差の基準(p値)。
例えば「ある抗ヒト抗体を用いた」という記述では不十分です。「マウス由来抗ヒト○○モノクローナル抗体(製造メーカーA社、カタログ番号 #12345、ロット番号 L789)を、1:1000に希釈して使用した」というレベルまで具体化することが、国際的な研究コミュニティにおける信頼の基礎となります。自分の実験ノートを第三者の目で見直し、「この情報だけで、別の研究室の研究者が全く同じ実験を再現できるか」と自問することが、優れたMaterials and Methodsを書くための最良の訓練です。
- Materials and Methodsを書く際、能動態は絶対に使ってはいけないのですか?
-
必ずしも絶対ではありませんが、使用は限定的です。実験手順の記述では受動態が標準です。能動態は、研究グループが特定の判断や選択をおこなったことを強調する場合など、まれに使われることがあります。例:「We chose this method because…(この方法を選んだ理由は…)」などです。まずは受動態で統一することをおすすめします。
- 既存の論文のMaterials and Methodsを参考にしても良いですか?
-
文体や構成を学ぶための参考には非常に有効です。ただし、試薬の詳細や実験条件など、具体的な情報をそのままコピーすることは、自分の研究を正確に記述していないため、倫理的に問題があります。参考にするのは「どのように書くか」という形式であり、「何を書くか」という内容は自分の実験に基づいて記述しましょう。
- 記載すべき情報が多すぎて、セクションが長くなりすぎてしまいます。どうすれば簡潔にできますか?
-
よくある課題です。解決策のひとつは、既に確立された標準的な手法(例えば、ある試薬キットのプロトコルや、広く知られた解析手法)を使用した場合、その手法の名前と文献を引用することです。その上で、標準プロトコルから変更した点や、自分で調整したパラメーターのみを詳細に記述します。これで冗長さを避けつつ、再現性を保つことができます。










